人丸花壇について

人丸花壇について

「人丸花壇」は、1950(昭和25)年創業の料亭旅館です。女将は松平家の子孫にあたり、皇族方もご来店された由緒ある明石随一の老舗です。

【明石の歴史と人丸花壇】
明石は温暖な気候と豊かな海に恵まれ、古くから栄えた土地です。
江戸時代、明石城の築城とともに町が整えられ、その町割り(都市計画)を宮本武蔵が担ったと伝えられています。
当館の地は、かつて、大蔵院(だいぞういん)という寺の一部で、東の守りとしての役割を担っていました。のちに有力者の屋敷となり、
戦後、その建物を活かして、先々代当主が料亭旅館を開設しました。

【葵の紋】由来
当館二代目に嫁いだのは、三河松平家ゆかりの姫の長女です。
三河松平家は徳川家康の本家で、岡崎松平家の当主が徳川家康です。

【人丸花壇】 名前の由来
人丸は、当館の北にある柿本人麻呂を祀る神社に由来します。この神社は通称「人丸神社」と呼ばれ、
周辺の地名にもなっています。花壇は「園・苑」と同じ意味で、人が集う場所を表しています。

かつて、小説家・松本清張氏が取材のために明石を訪れたとき、「人丸花壇」に滞在しました。
後に完成させた推理小説「Dの複合」には、「人丸花壇」が実名で登場します。いまも旅館には、松本清張氏直筆の芳名帳が残っています。